財全GROUP PRESENTS「Build The Future」。本特集は、WEBメディア「HUB沖縄」と財全GROUPの特別企画です。財全GROUPが経済 / 経営 / マネーを軸に、沖縄の未来を築く輝かしい人びとを紹介しています。特集記事はHUB沖縄へ掲載されたものです。
新設備年内稼働で遺族の負担軽減へ
県内に6つの葬祭場を持つ富士葬祭(那覇市)が、預かったご遺体を安置できる冷蔵設備を持った施設の年内開設を目指している。これにより、火葬施設が不足し長い待ち時間に悩む遺族の負担軽減に繋げる考えだ。平田代表は「お客様目線に立った利便性の高い施設で、『大切な家族を大事に送ってあげたい』という家族の気持ちに寄り添いたい」と意義を語った。
1995年12月に創業した同社は、自宅葬と寺院葬が主流だった時代に県内で初めて葬祭場(ホール)で葬儀を執り行うプランを提供した。時代を先読みし、常に顧客満足度を最優先に考えてきた経営戦略はどう描いてきたのか。創業から現在までの歩みを聞いた。
国家公務員から生花店を経て葬儀社を設立
高校卒業後、沖縄総合事務局へ入省し6年間ダム事業へ携わった。「自分でビジネスを起こしてみたい」と生花店へ転職。当時はバブル最盛期で花が飛ぶように売れたという。丁稚奉公で花の生け方を学んだが、「センスがないから」と花を取り上げられて挫折。悔しさが込み上げたが「自分に出来ることは何か」を考え翌日からスーツ姿で営業活動へ打ち込んだ。
生花の需要が高い冠婚葬祭の建築現場を周り、市場をリサーチしつつ仕事を獲得していったという。「葬儀屋の仕事を取るためにクライアントの鞄持ちや運転手も勤めた」。愚直な営業が実を結び順調に生花店でキャリアを積み重ねた。
起業のきっかけは、葬儀業界の料金体系に疑問を抱いたから。「横柄で暗いイメージ。短期間で火葬まで行う流れで遺族も慣れておらず、葬儀屋の言い値でビジネスが成り立ってしまっていた」と話す。お客様本意のサービスを提供する必要性を感じて創業を決意した。
社員の横領が発覚 社員と向き合う覚悟を決めた
創業資金は生花店の退職金と親から借りたお金を合わせて110万円のみ。やっとの思いで事務所を構えたが葬儀に必要な祭壇などの備品もなく従業員もいない。悩んだ末に知り合いの葬儀社へ「利益を折半する条件で、備品やスタッフを貸してほしい」と頼み込み、何とか事業をスタートさせた。
なりふり構わず不眠不休で働き、派遣された他社のスタッフからノウハウを学ぼうとトイレにもついて行くほどだった。仕事の合間を縫って模合を15個かけ持ちし人脈作りと営業に勤しんだことも功を奏しやがて葬儀の依頼が来るように。とにかく必死だった。
平田代表が最も頭を悩ませたのは、従業員の定着と信頼関係の構築だ。初めて雇った社員は「大手がいいから」とあっさり退職。その後に採用した社員の殆どは同業他社で経験を積んだ自分よりベテランばかり。業界初心者の自分を馬鹿にする態度で、葬儀の仕事中に外食するなど社員教育も行き届いていなかった。
程なくして従業員の横領が発覚。管理体制の甘さを反省すると共にこのままでは経営が厳しいと判断し、当時 “知る人ぞ知る” 盛和塾(京セラの創業者・稲盛和夫氏の経営哲学を学ぶ塾)へ通っていた平田代表は会社の在り方や社内の規範を改めた。
「従業員に辞められたら会社が立ちいかなくなる」と、嫌われることを恐れて課題を指摘できない自分にも気づいた。社内の規律を正し、従業員と向き合う覚悟を決めた。「この会社に来て成長できた、幸せになったと感じてほしい。この会社があって良かった、と思われる会社を作りたい」。苦い経験から学んだことは多い。
県内初のホール葬を実現 妻と2人3脚で叶えた夢
当時、沖縄の葬儀は自宅葬と寺院葬が主流だった。県外ではすでに葬祭場(ホール)で行う葬儀が一般化しており「沖縄でも需要が伸びるに違いない」と踏んで県内初のホール葬構想を描いた。
ところが、従業員は「こんな小さな会社が建設費用を借りられるわけがない」と猛反発。必死の説得も虚しく全従業員5人が退職してしまった。「俺に信頼がないからだ」と深く落胆し経営者としての自信も失いかけたが、妻が唯一の支えになってくれたという。
「駐車場を完備した冷房設備が整ったホール葬は、必ずお客様の利便性向上に繋がる」と銀行へ融資を頼んだところ、当時の支店長が賛同し本店に掛け合ってくれた。従業員の退職という代償は大きかったが、「屈することなく思うところに道は拓けるを体感した」と今でもその時の喜びが忘れられない。
平田代表の読み通り徐々にお客様へ認知され、時代を先読みした戦略が経営の流れを変えた。現在では6ホールを運営している。
変わらない人間の尊厳 最期のお別れは故人らしいものへ
誰しもに訪れる最期のお別れはその人らしさを尊重するものにしたいー。形式的な葬儀ではなく、家族が故人との思い出を振り返り、悔いのないお別れが出来るようお客様のニーズに合わせてさまざまなコンセプトのホールを展開している。
暖かみがあり家族がゆっくりと時間を過ごすことができる浦添ホール。ホテルのようなエントランスに、リビングやキッチンスペースを備えた古島ホールなどだ。
近年は、お通夜の省略や葬儀費用を圧縮するなど簡素化が顕著になっている。「沖縄は離婚率が高いため独居老人の死も多く、家族も戸惑うケースがある」と実情を明かした。さらに、コロナ禍で葬儀自体を行わない事例にも触れ、業界での生き残り戦略へも考えを巡らせている。
平田代表によると、創業当初は1葬儀の予算が140万円〜150万円だったのに対し、現在は70万円〜80万円と約半分に単価が下がっている。「葬儀の簡素化などドライな世の中になっていくのは寂しい」としつつも、「価格が下がってもサービスが下がっていいわけではない」と口酸っぱく従業員へ説いている。
「亡くなった人も、“自分は世の中の役に立った”と思って旅立っていきたいはず。尊厳を持って生まれてきたのです。満足な死ばかりではなく、無念の最期もあるが、最後は人間らしく送ってあげたい」。創業当初の理念を大切にしている。
業界で生き残るには、IT・人・施設への投資
約3年前からWEB戦略を強化している。チラシのポスティングやテレビの費用対効果と比較しWEB広告へシフトした。「内製化がベスト。知識と技術を持った人員を採用し内部の意識を高めている」とし、経営会議ではSNS活用も推進することを決めた。「売上がある内に人・施設・ITに投資しないといけない」と自身もフェイスブック上の発信を続けている。
インターネットに強い大手企業の参入や低価格化など業界は厳しさを増している。潜在顧客を増やすにはー。「我々の人となりが伝わり信頼と信用を得られる人になれるか」。人間力を磨けるかが試されている。
社長室に隣接した客間には平田代表が生けた花が飾られていた。「2ヶ月前から再開したんだけどやっぱりセンスがないから生花店を辞めて葬儀屋になって良かった。人生はどうなるか分からない」。そう言って、嬉しそうに写真に納まった。
初心に、返っていたのかもしれない。
本記事は、2021年4月21日HUB沖縄へ掲載されました。